2003-05-07 第156回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第4号
この平塚化学工場、平塚工場跡地というのは、環境省の方で御努力いただいて提出していただいた七二年の調査資料、結果では、相模海軍工廠化学実験部、平塚市、この記録ですと、〇・四トンのイペリット、ルイサイトが十・二トン、鉄がめ二十ケ、ドラム缶三十缶、これだけ保有されていたというのがこの平塚工場跡地ですね。そこで今回こういう事故が起こったわけですね。
この平塚化学工場、平塚工場跡地というのは、環境省の方で御努力いただいて提出していただいた七二年の調査資料、結果では、相模海軍工廠化学実験部、平塚市、この記録ですと、〇・四トンのイペリット、ルイサイトが十・二トン、鉄がめ二十ケ、ドラム缶三十缶、これだけ保有されていたというのがこの平塚工場跡地ですね。そこで今回こういう事故が起こったわけですね。
そして、この問題が、ただ単に研究がされていたというだけではなくて、一九三七年七月に日中戦争が全面的に始まるわけですが、この七月二十七日、化学戦の部隊である迫撃第三大隊、第五大隊、第一野戦化学実験部を華北に派遣するという天皇の命令、当時臨参命という言い方をされましたけれども、その第六十五号が出されて、化学部隊が華北に派遣されました。
○政府委員(山高章夫君) 小川さんが先ほど申し上げましたように、昭和十七年十一月ごろから二十年の三月ごろまでの間、この化学実験部の第二課におりましたということはほぼ間違いがないということでございます。
○柏原ヤス君 そうしますと、これまでの調査でわかった範囲というのは、まず身分関係については相模海軍工廠化学実験部第二課に在職していたということでございますね。それから毒ガスのことについては化学実験部第二課に属しているこの実験部では、確かにイペリット、ルイサイト系のガス製造、また、こうしたガスを実験的に使用していたということが明らかになった、こういうふうに受け取ってよろしゅうございますね。
○政府委員(山高章夫君) ただいまの御質問でございますが、御質問の小川仁衛さんの障害年金の請求についての調査でございますが、申請になられました資料だけでは旧相模海軍工廠化学実験部におきます作業あるいは小川さんが毒ガス製造あるいは実験の業務に従事していたという事実、さらに現在の症状とか公務との因果関係、こういうものの立証について十分でなかった。
○政府委員(八木哲夫君) お話しございましたように、昨年の当委員会におきまして先生から小川さんの問題につきまして御質問がございまして、当時、私どもの方でお答え申し上げましたのは、確かに相模原の海軍工廠におきまして化学実験部がございました。それから化学実験部におきましては毒ガス等の問題についての研究ということでイペリットとか催眠剤とかくしゃみ剤等の問題について研究をいたしております。
○柏原ヤス君 昨年、この席上で質問いたしました相模海軍工廠化学実験部に勤務しておりました小川仁衛さんの件についてお伺いしたいと思います。 昨年質問しましたときに、前の大臣でございますが、大臣から誠意をもって調査に当たるようにしたいという御答弁をいただいておりますが、どういう調査をなさいましたか、御報告いただきたいと思います。
○柏原ヤス君 化学実験部のこういう事件ですから、恐らく内部の実情というものを知っている人は非常に限られた人たちで、非常に調査も困難だと思いますけれども、現在までの結果ですね、ここまで調査は進んでいる、今後はこういう点が問題なんだというような御説明、もう少ししていただけませんでしょうか。
○柏原ヤス君 相模海軍工廠化学実験部第二課に勤務しておりました元海軍軍属の小川仁衛さん、この方から障害年金の請求が出ていると思います。私も本人に会ってよく内容を聞いて調べてみました。
○政府委員(八木哲夫君) 私どものほうで昔の軍の関係の実態につきましてのある程度の書類等を持っておりますので、その書類等の面から申しますと、化学実験部というのがございまして、こういうような問題についての研究をやっておるということは、はっきりしておるわけでございます。私どものほうの調査でそれははっきりしております。
○政府委員(八木哲夫君) 私ども先生からお話ございましたケースの問題につきましては、請求が来ておりますので、内容を調査している段階でございますが、いま御質問ございました相模原の海軍工廠に化学実験部というものがあって、そこで毒ガス等の問題についての研究をやっておったかということでございますけれども、私ども調べました範囲では確かに相模海軍工廠に化学実験部というのがございまして、ここでイペリットあるいは催涙剤